「自分には売れる体がある」から「自分には売れる体しかない」に変わっていた。

「いっぱい稼げて、かわいい制服で働けるよ」
そう言って女友達に誘われたのは、メイド喫茶だった。キラキラした女の子だったから、私もそうなりたい、一緒に働きたいと思った。ふわふわの制服を着て、研修を受けた。チェキの撮影があることは面接の際に言われていた。

「脱いで撮影したものじゃないし、可愛く撮れてるから記念になるよ。嫌だったら撮らなくてもいいけど、安全なお仕事だから考えてみてね」

そんなことを言われて高校生の私は、(脱いでないから大丈夫か)と納得したし、お客さんのオーダーが入れば断ることなどできなかった。それにチェキは一枚換算で自分にお金が入るので、どんどん撮るようになった。学費、生活費、交通費、食費、とにかくお金が必要だった。その写真が今どこの誰のもとにあるのか分からない。

バックルームには時々社長が居て、テレビで競馬を見ていた。制服が乱れているとか、汚れが付いているとか、しわがなんとか言われていつの間にか社長の腕の中に押し込まれた。狭いバックルームで大きな男を前になにもできなかった。その様子を一緒に働いている女の子も見て見ぬふりをしていて、誰も助けてくれない場所なんだと思った。

「社長きもいよね、でも我慢してるとお小遣いくれるよ」
一緒に働いている子からそう聞いた。だから私は我慢するようになった。社長は私の足や髪や腰を撫でまわして、耳元で臭い息を吐きながら下半身を擦り付けてきた。でも興奮状態が収まると本当にお小遣いをくれて、(脱がなくてもよくて触らなくてもいいなら大丈夫か)と高校生の私は思った。どんどん感覚が麻痺していった。

稼いでも稼いでも、お金は必要だった。ギャンブラーな親が気付くと私の口座からお金取ったり、財布からお金が抜かれたりしたから。大人しくお金を渡せば殴られたりしない、我慢すればマシだ、そう思っていた。

その時に写真のモデルの仕事に誘われた。日給がよくて、また(脱がないならいいか)と思って仕事を受けるようになった。最初は着衣の仕事ばかりだった。自分がモデルをしていることが誇らしくもあって、綺麗に映る自分を見ると楽しかった。

でも、指定された衣装のスカートの丈はどんどん短くなって、腕や足が出るものに変わってきた。(まだ脱いでいないから大丈夫だ)そう思おうとした。かわいい、かわいい、綺麗だね、スタイルが良いね、足が長いね、そう言われながらどんどん脱がされた。

固まる私に対して「これは五千円、上乗せするから」とお金の交渉をされて、目の前の息の荒い、下半身を勃起させて目がギラギラとした男から、私は早く逃げたくて、頷いて写真撮影を続けた。まだ私は高校生、17歳だった。

周りのモデルの友達に相談すると「やられなかっただけマシだよ」「仕事の相手選びなよ」と言われた。彼女たちもレイプまがいな経験を少なからずは一度はしていたからこう言うのだと思った。私は何も知らないままだった。

写真の撮影が終わってからしばらくは学校にもバイトにも行けず、寝込んだ。耳の奥で鳴り続けるシャッター音と男から掛けられた誉め言葉がずっとしているようで自分の頭はおかしくなったと思った。それでも家に居ると親兄弟に怒鳴られ、当たられ、殴られるので、外に出た。またお金が取られていたので、お金が必要だった。

メイド喫茶も撮影の仕事も受けないことにしたが、「個人でやるから危ない目に遭うんだよ」と周りに言われて事務所や所属先を探すことにした。

フラフラと短いスカートで歩いていたら女の人が近付いてきた。
「こんにちは、お姉さん、若いよね!うちの店で働かない?」そう声をかけられた。
「銀座のお店だから客層も良いし、時給も高いし、可愛いから稼げるよ!」
目の前の明るく綺麗なお姉さんにお茶に誘われて、ついていった。お店の話を聞いて、そのまま体験入店することになった。

お客さんは、紳士な人もいた。少しだけお触りがあるくらいで、メイド喫茶よりは全然マシな気がした。私はまだ19歳で、お姉さんが身分証を用意してくれた。働いてるお姉さんたちは、みんな優しかった。

「○○ちゃん、このお客さんとアフターに行ってみてほしいの」
そう言われて、常連さんだったし、信用しきった私は、行くことになった。高そうなご飯屋さんに連れていかれて
「あら、若い子連れて」と言われている60代のお客さんは自慢げで、私もその時は誇らしいことなんだと思った。

そのお店のエレベーターに乗ると、他のお客さんが降りて行き、二人きりになった。やばいと思った。
その瞬間、男の目の色が変わり、バンっという音と共に壁に押し付けられ、ガチっと歯と歯がぶつかってキスされた。男が、私の体の至るところを撫でまわした。私は固まっていた。

お姉さんや黒服に言うと、「二人きりになったらだめだと言ったのに」「お客さんを管理しないと」と言われた。まだ私は19歳で、どうしていいのか分からなかった。無断欠勤すると、車で黒服が家まで迎えに来て、お店で大量に酒を飲まされて、なにも分からなくさせられて、働き続けた。

「一週間だけ、勉強になるから京都に行って接待しておいで」
お店のママに言われたときには、ホテルも新幹線も全て手配されていた。
「上品なお客様だから大丈夫」
そう言われて、私は眠りにつくこともできないまま、仕事が終わった朝に出発した。

ホテルのキーは客も持っていて、駅まで迎えに来た客が、ホテルまで荷物を持つという。
ホテルの部屋につくとすぐにレイプされた。一週間、私は接待に行きながら、朝も昼も夜も客に犯され続けた。
いつもの何倍もお金をもらったから、これが私の値段なのだと思った。

私の値段。私の一晩を、買う人間が世の中には多くいた。私は既にもう何も考えられなくなっていた。
いつの間にか「自分には売れる体がある」から「自分には売れる体しかない」に変わっていた。

人生の壊れた音がした。

汚いと言えない

「私もマスクつけましょうか?」
「ううん、外して。俺はこのままでいいから」
男は私に手伝われて全裸になった。顔にだけマスクを残したまま。

コロナ禍の始まりのころ。客足がぐんと落ちて、それでも来る男たちの中には、自分だけマスクをつけたままプレイしたいという客もいた。
マスクをつけたままの客にいつも私は「私もマスクつけましょうか?」と尋ねたけれど、聞いたところで私はつけさせてもらえないことが多かった。
客からすれば、自分の身は守りたいけれど、買った女の顔は見たいし、口でのサービスを享受したいのだろう。

私もマスクつけたいです、とは、決して言えない。“あなたから感染するかもしれないと私は思っています”というメッセージを伝えてはならないから。
客を「汚い」と思っているそぶりを見せてはならないから。
キスしなくていいし、ハァハァと吹きかけられる臭い息もいくらか軽くなるから、どちらかと言えば楽だ、と思うようにしながら、裸マスクの男に対応した。

ただでさえ客入りが厳しいのに、一度でもアンケートで減点されたら立ち行かなくなる。
だからいつも客の身体を舐めるときは、汚い臭いと思いながらも顔に出さないようにして、なるべく多く唾を出して、飲み込まないように吐き出し続ける。露骨に吐き出していると思われない様に、興奮を煽るテイで垂らしてみせたり、こっそりシーツやタオルに吐き捨てる。
一方で客は、だいたい最初より帰り際のほうが、念入りにシャワーやうがいをして帰る。
私はそれにひとつひとつ傷つく暇もないほど困窮していたから、気にならないと思っていた。

「キスしよう」
時間ギリギリになって、裸マスクの男が迫ってきた。
「でも○○さん、コロナ気にして……」
「マスク越しにすれば、大丈夫」
男はマスクをしていて、私はマスクをしていない。

【マスクの表面は不潔なので触れないように】
あのころ散々、テレビで言われていた事が頭をよぎる。
“大丈夫なのはお前だけだよ”とは、言えない。汚いと言えない。迷っているうちに、裸マスク男にキスをされた。

ざらっとした不織布越しに生暖かい吐息を感じた。

そのマスクも何時間、どこを、誰の飛沫を浴びたかもわからないマスクを押し付けられて、ーー汚い! 汚いと思った私は、“汚い”と言えない私は、それでもにっこり笑って、時間内にホテルを出られる様に男にパンツを差し出した。

「あっ、もうこんな時間! ○○さんといると仕事だって忘れちゃう! 楽しかったぁ!」
たった今時計を見たフリをして、心にもないリップサービスを、愛想笑いをしながら並べ立てた。

内心の嫌悪感や、時間への焦りを隠して、アンケートで減点されないように必死だった私は、
あの時、“汚い”と言えなかった私は、
毎月の支払いと日々の稼ぎに焦って、そんなことに傷付きもしていないと思っていた私は、
本当はひとつひとつのことに、傷付いていたのだと、2年半が経ってようやく思い出している。

取引されたもの

私は男性経験がないまま、風俗店で働くことになった。

ある日とてもガタイのいい客が来た。
プレイ開始早々「処女奪ってくださいって言え」と命令した。何度も断ったが、「泣いて帰るハメになってもいいの?」と脅された。
密室。部屋のドアまでは約20m。私は何も身につけておらず、手元にあるのはバスタオルのみ。カバンやスマホは少し離れたところにある。

すぐに逃げられない。助けを呼べない。
あまりの恐怖に、要求を飲んでしまった。
するとものすごい力で四つん這いにされ、後ろから鼻と口を手で覆われた。息も出来ず、全く動けないほどの力だった。

「このまま俺が入れちゃったら、泣いちゃう?」
思い出しただけで、当時の恐怖が体を支配する。

「初めては結婚したいぐらい好きな人がいい」という同級生の言葉が脳裏をよぎった。

ひたすら泣いて、許しを乞うた。60分。あまりにも長い時間だった。
涙でぼろぼろの私を見て、その男は満足したようだった。
「口内射精」のオプションを付けていたが、結局射精すらせず、「楽しかったよ」とだけ言って帰った。

私は絶望の淵に立たされたというのに。本人は、「楽しかった」。
アンケートに記入されていた点数を盗み見た。100点。
射精できず、オプション料も無駄になったにも関わらず、100点。「楽しかった」。

彼が60分15000円で買ったものは。
私が60分6000円で買われたものは。

AV新法に反対します

私は約20年間、性売買の現場にいました。皆さんにお知らせしたいのは、そこで起こっていたことは決して普通の労働とは言えないということです。嫌なことは断ることができる、安全に働くことができる、そんな人も中にはいるでしょう。しかし多くの実態とは、あまりにもかけ離れています。

ほとんどの客は、罪悪感などありません。そして、接客の態度、体の反応など、意に沿わないことがあれば不機嫌になります。時に暴言、暴力で脅します。楽しむことを当然の権利だと思っているからです。お金を払ったからです。

この世界ではお金を払えば、暴力を正当化できます。なぜそんなことが当たり前に行われてきたのでしょうか。なぜ、それが続いてきたのか。文化だからでしょうか。必要だからでしょうか。いいえ、皆が無関心だったからです。そこで起こっている女性への暴力に無関心だったからです。

性売買の現場を知らない方達に伝えたい。それは決して「サービス」などという言葉では言い表せないことを。起こっているのは暴力です。なかったことにしないでください。

安全に働けるようにすることが、暴力をなくす道だというフェミニストも多くいますが、現実を全くわかっていません。性売買の現場で起こっていることは、自由な性の可能性などではありません。そこにあるのは昔ながらの男性の欲望です。

買春男が何にお金を払っているのか、私は体で知っています。記憶は消えることはありません。私の心は死んでしまったような気もしています。今までたくさんの女性の涙、絶望した顔、諦めた顔を見てきました。なぜなかったことにしようとするのか。現実を直視してください。女性の命と尊厳にもっと目を向けてください。

性売買は人身取引です。男性の欲望を煽ることであまりにも巨大になったビジネスです。業界の人達が守りたいのは、そこにいる女性の人権ではありません。男性が罪悪感なく女の体を金で自由にする権利です。
当事者の安全や生活を人質にとり、業界や買春男性の買う権利を維持することはフェミニズムではありません。女性の権利を訴えることを当事者に対する差別と言い換え、被害を訴える当事者の声を消すことはシスターフッドではありません。
私は「かわいそうな被害者」ではありません。1人の人間です。そしてその尊厳をかけて、性売買は女性への人権侵害であり暴力であると訴えます。どうかなかったことにしないでください。

2022年5月22日AV新法反対デモに寄せて

別に身体は売りたくなかった。

収入の不安定な本業の傍ガールズバーで働いていたが、生活は厳しかった。

『パパ活』という言葉がネットを歩き出した頃。『交際クラブ』に登録すれば食事デートでお金を稼げると聞いて、水商売の延長線上だろう、生活の足しになると思いネットのスカウトに話を聞きに行った。

スカウトの男は喫茶店の席で二言三言雑談を交わすと「ローンを組んで豊胸してから風俗やると稼げますよ」と突然言い出した。「クリニックも紹介します」その時の私は豊胸も風俗もまったく考えてもいなかった。驚いて私は「いや、風俗までは」と断った。スカウトは「交際クラブでも、大人の関係(性行為)アリじゃないと中々オファー来ないですよ」と私を一度突き放し、登録するだけなら、と電話を取り出すと、面接の予約を取り付け始めた。そのまま交際クラブの事務所に行くように指示され、向かった。プロフィールを書かされた。写真を撮られ、スリーサイズ、胸のカップ、交際タイプーー初めて会った男性とお金次第でどこまでできるかーーを記入した。私は食事デートのみを希望し、登録したが、実際にクラブからのオファーは来なかった。ネットの情報を探っていくと、ブランディングされた『パパ活』の実情は、飛び抜けて容姿が優れている女性でもなければ『大人の関係』を結ばないと稼げない、という事がわかった。

あのスカウトと会ったのはそれきりだったが、彼の言葉は遅効性の毒のようだった。“男好みの身体に改造しろ、お前に価値はない、もったいぶらずに身体を売れ”というメッセージが、少しずつ私自身を侵していくことになる。

生活は依然として厳しく、次に私は『メンズエステ』に飛び込んだ。別に身体は売りたくなかった。風俗ではないし、お客からの接触も禁止だ。面接に行くと強面の男が『アレ着て施術してもらうけどできる?』とベビードールを指差しながら言った。生活費のことを考えて、首を縦に振った。マッサージは一生懸命に勉強したが、客がメンズエステに求めるような『際どい』施術は苦手で、中々固定客を掴めなかった。

身体を触ろうと必死な客、突然マスターベーションを始める客、背中に跨って指圧している最中にクネクネしながら「どう? 気持ち良くなっちゃった?」と聞く客(気持ち悪い)を笑顔でいなす。最初はガールズバーよりも稼ぐ事ができたが、新人期間が過ぎると、客づきが悪くなりだした。

事務所で電話を取るスタッフの会話を聞いていると、私を薦めようとするスタッフが「胸は大きい方ではないですが、マッサージが上手で良い子ですよ」と言っては断られているのが耳に入った。スカウトの言葉を何度も思い出した。

もっと胸があれば、もっと性を売れば。

別に身体は売りたくなかった。

けれど、自分の身体を商品として考え始めていた。

その後、本業の資金繰りに失敗した時、真っ先に浮かんだのが『風俗』の2文字だった。私はもう、とうとう風俗に行くしか脱する術がないと考えた。

美容クリニックで100万以上のローンを組み、胸にシリコンを入れた。

元の身体では受からなかったであろう都内最高級の風俗エステの面接に行き、採用された。お客から触られることはない、ただ今までの行為を裸で、手で射精介助もするだけだと自分に言い聞かせた。

講習員の女性は「客に触らせる時は、あなただけ特別だよ、って言ってね。できるだけヘルス(粘膜接触)行為が出来た方が売れるから」と私に説明した。

後戻りはできなかった。

私は別に、身体を売りたくはなかった。